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自分もそういう時期になったんだなぁと実感した。

もうここ数年夜のドラマは全く見なくなったのだけれども、「梅ちゃん先生」と「平清盛」の2つだけはほとんど見ていた。
どちらも現代ではなく過去のお話なので「おいおい時代設定いいのかよ」とか「人物描写がw」とかツッコミを入れながらだけど。
これまでならさっさと切って見ないようになるのだけど、両方ともある一点が自分の興味を引いていた。
それは、父親像。

平忠盛と下村建造

この作品で重要な役割をするのがそれぞれの父親である平忠盛と下村建造。
前者は中井貴一、後者は高橋克実という個人的に好きな役者が演じていることもあって彼らの演技が楽しかった。
しかしそれ以上に興味を引いたのが、彼らが演じている父親としての姿で、いつしか平忠盛と下村建造の視点に感情移入していった。

父親、という視点

ここでふと、自分が「父親」という立場で人物を見ていることに気付いた。
これまでなら見なかっただろうけど今回見続けた理由は、「自分が父親になり、主人公よりも父親ポジションの人物に自分を重ねるようになった」からだったのだろう。

以前なら主人公に自分が重ねられるかどうかで決まっていたのがいつしか父親へとシフトしていく。子どもができて日々生活していく中、意識しないうちに「父親としてどうあるべきか、子どもにどう接するべきか」を考えて、モデルとなり得る何かを模索していたんだろう。
そうやっていつしか自分なりの父親役割の獲得という発達課題に取り組んでいくんだろうなと思った。
もし自分の父親が生きていたらこんな話をしてみたかったなと寂しく感じた。

なお、平清盛では中井貴一演じる平忠盛が退場してから一気に観る気が失せてしまったのをここに記しておく。

One Response to “テレビドラマを見ていて思った父親役割の獲得”

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