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はてなブックマーク - 今回の震災に対する自己制御の観点からの一考察
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はじめに

 今回のこの震災について、自分が興味のある自己制御と何か結びつかないかなと考えたことをまとめてみることにしました。基本的に自分の見解であり、かなり勢いに任せて作成していますので、飛躍していたり偏っていることをご了承ください。
 なお、文章はかなり長くなってしまいました。申し訳ございません。結論は最後の方に3行で書いてます。

自己制御とは

 自己制御とは、「何らかの目標や基準の到達のために自己を制御する一連の過程」です。もう少し簡単にすると、「何か」に向かって進んでいくために、自分の考えや態度、行動を適切な方向に向けて邁進していく、その一連の流れといえます。この「何か」には、大きいものから小さいもの、あるいは長期的なものから短期的なものまで当てはまります。たとえばダイエットならば、間食を避けたり運動をするように自分を向かわせることとなりますし、理想とする人物に近づきたいと思うならば、その人物像に合うような態度をとったり、それに沿わない行動を自粛したりするようになります。

移行と査定

 さて、KruglanskiやHigginsらの研究グループは、実際に自己制御を進めていくときのキーワードとして2つ取り上げています。それは「移行(Locomotion)」と「査定(assessment)」です。移行とは「ある状態から別の状態へ移ること」であり、運転にたとえるならアクセルやエンジンに当たります。一方査定とは「目標に向かうための手段や目標そのものについて比較・吟味すること」であり、運転でいうとハンドルみたいなイメージに当たります。運転して目的地に着くには、アクセルを踏んで車を走らせると同時に、ハンドルをさばいて適切な道を選択していくことが必要です。つまり目標を達成するためには、移行と査定の両方が必要となるといえるでしょう。
 なお、この移行と査定については個人差があり、ここでは便宜的に、移行に傾きやすい「高移行タイプ」、査定に傾きやすい「高査定タイプ」、両方ともこなせる「高移行・高査定タイプ」、両方とも発揮しにくい「低移行・低査定タイプ」というように分けておきます。高移行タイプはいわゆる「とりあえずやってみよう!」というタイプで、高査定タイプは「じっくり考えてからやろう」というタイプです。高移行・高査定タイプは「進めつつも常に吟味していこう」というタイプで低移行・低査定タイプは「なにもしない」というタイプとおおざっぱに考えてください。

災害という緊急時と移行・査定

 今回のような災害時では、多くの方が様々な目標に向かって活動を行います。たとえば「安全性の確保」であったり、「被災地復興」、あるいは「支援・援助」などです。活動自体は様々ですが、目標を達成しようとするプロセスと見なすならば、やはり先ほど触れた「移行」と「査定」は重要となるといえます。どうやればうまくいくのかをしっかりと比較検討し、それに向かって活動することには違いません。
 しかし緊急時には制約が発生します。緊急時は「急ぎ何らかの対応が求められる状況」であり、「すぐに行動しなければならない」という社会的圧力が発生している状況といえます。従って、「移行が状況的に優先・促進される」のです。

 このような制約が発生すると、先ほど紹介した「高移行タイプ」と「高移行・高査定タイプ」の活動・行動が社会的にマッチしているため促進され、一方で「高査定タイプ」と「低移行・低査定タイプ」の者には「早くアクションを!」とプレッシャーがかかるようになります。4タイプの変化をまとめるとこのようになります:
 ○高移行・高査定タイプ → 高移行へシフト(しかし査定もできる)
 ○高移行タイプ → 超高移行へシフト
 ○高査定タイプ → 状況的に高(中?)移行・高査定へシフト
 ○低移行・低査定タイプ → 高移行へシフト

その結果、(1)高査定タイプが一時的に移行と査定の両方を発揮する、(2)高移行タイプと低移行・低査定タイプによる「考えなしの行動」が増加する、ということが起こります。

制御資源の枯渇と「まずい」行動の誘発

 目標を達成するためには、移行と査定の両方を発揮することが重要となります。その観点から見れば、(1)は望ましいともいえます。しかしながら高査定タイプは本来移行を発揮しにくいのに、強いられて発揮している状態となります。普段なれないことをするとどっと疲れるように、この場合制御資源(自己制御を行うためのエネルギーのようなもの)を通常以上に消費してしまいます。もちろんこの資源は有限で、このような状態が続くと資源が枯渇します。枯渇してしまうと自己制御がうまくいかず、場合によっては燃え尽きてしまうような状態となります。短期的な問題であれば乗り切ることもできるかもしれませんが、今回のような震災は長期的な問題であり、望ましい状態とはいえないでしょう。
 また(2)については、いろいろな問題行動を引き起こします。たとえばデマの流布など。私のTwitterのタイムラインにも地震直後からたくさんの情報が流れてきましたが、その中には「どうみてもデマだろ?」というのがRTなどを通じて拡散していきました。またチェーンメールなどでもかなり拡散したようです。他にも「買いだめ」行動も、公式的な発表および様々なメディアから自粛を呼びかけているにもかかわらず、また考えれば問題であることも理解できるのに、「考えなしの行動」によって引き起こされているのが現状です。これらの現象には他の要因もありますが、一つの説明になると思います。

ではどうしたらいいのか?

 それではうまくやるためにはどうしたらいいのでしょうか。上述の問題点のポイントから考えるならば、「資源枯渇への対策」と「移行と査定の両方を発揮」することが必要となります。
 そのための具体的な手段は様々かと思いますが、ここでは「共同」をキーワードとして取り上げたいと思います。たとえば査定を発揮しにくい高移行タイプならば、査定を発揮できる身近な者と話をして行動することで、「考えなしの行動」を多少なりとも抑制させることができます。竹村幸祐先生のブログにあるように「勇気と手間をかけて確認」することは重要でしょう。
 また活動に従事する際、全員が移行と査定の両方を発揮できれば言うことないのですが、そんなのは無理です。しかし高移行タイプと高査定タイプが共同で従事することで、活動主体として両方を発揮できるようになるかもしれません。
 ただし、ただ単に共同で当たればいい訳ではありません。メンバーがうまく機能するためにはその集団・組織の適切な組織化が必要であり、またそれを運営していくリーダーやリーダーシップが必要不可欠となります。これらの点については、本記事の範疇を超えていると思いますので触れません。よろしければ浦光博先生の解説や、東北地方太平洋沖地震に関する社会心理学者からの提言(リンク集)をご参照ください。

おわりに

 長々と書いてきましたが、まとめると以下の3行になります:
 ・緊急時には「動く」が促進されてしまう
 ・その結果、「考える」という要素が縮小され、「考えのない行動」が増加
 ・冷静な人と話し合ったり、組織で行動することを意識する
 今回の記事では、個人レベルの中でも自己制御、特に移行と査定をキーワードで考えました。とても提言なんていえませんし、ただの私見としてもあまり内容がないと反省しています。
 何分偏った観点からの抽象的な議論なので、誤りや批判などあると思います。お手数ですがコメントやTwitterのアカウント(@kazutan)までご指摘いただければ幸いです。
 失礼いたしました。

4 Responses to “今回の震災に対する自己制御の観点からの一考察”

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